□ギョレメ博物館を出て、奇岩石の場所にたちよる。
この奇岩石も超有名だ。記念に写真を撮っておいた。
----奇岩石の写真
□慌しく、奇岩石の場所を後にし、やっと昼食。
昼食は、洞窟レストランでマスのグリルだった。味は、日本人の口に合うと思う。--まぁ、日本人用のレストランに案内されているからかもしれないが。
昼食時の飲み物で現地のビールを頼んだ。味は、日本のビールとさほど変わらない様に思う。昔、イギリスのパブで飲んだ生ぬるいビールの印象が有ったせいか、違和感は無かった。----しっかりしている事に、食事の途中で、飲み物代の徴収に来る。トルコ流なのだろう。
さらにしっかりしている事に、料理が来るまでの間に、お土産のワインの宣伝をしていた(それも、日本語で)。
□食事後、お約束の土産物屋へ向かう。(ツアー会社と提携しているのだろう)
土産物屋といっても、トルコ絨毯の工場兼販売の場所であった。
日本語の上手なオジサンが、まるで漫談でもしているかの様な語り口で絨毯の解説と宣伝をしていた。下手な日本の芸人よりも上手なくらいで驚いた。お決まりのオジサン駄洒落を織り交ぜながら。いつものルートだからだろうか「今夜は、コンヤ?」とか言ったりして場を和ませていた。
この漫談をキッカケにツアー参加者の間の垣根が少しづつ低く成ってきた。漫談の時に、具体的に客を指定して、笑いを取ろうとしたお陰である。
ただその後の販売員による売り込み(これも日本語だが)には、いささか閉口した。少し位は押しが強い方が良いのは分かるが、度が過ぎている。最近の日本では見かけない様な押しの強さだった。
そんな中、さすが関西弁のオジサンは、負けていなかった。思わず、”座布団一枚”と言いたくなる様な販売員との掛け合いが、隣から聞こえてきたのだ。
漫談の面白さと、強引な売り込みで、写真を撮るのもすっかり忘れて、次の観光地”地下都市”へ向かう。もちろんバスでの移動だ。
バスの中でのガイドさんの解説では、「カッパドキア」とは、「美しい馬の国」という意味らしい。
□地下都市(カイマルク):地下7階立ての土を掘り抜いた構造で、現在4階まで修復されている。ここに暮らしていた人は殆ど外に出ないで過ごせたらしい。食事はもちろん、”下”の場所や、家畜を飼う場所さえあった言う。中は暗く狭く迷路の様に成っていた。今でこそ、明かりが付けられているが、当時の人はどうしていたのだろう。
ガイドさんが言うには、ここで迷子になると出られなくなるので注意してください。迷子になったら、一週間後まで出られません。と西洋風にジョークを飛ばして笑いを取っていた。
チケットの写真を見ると雰囲気がわかるだろうか。
□カイマルクを出て、今夜の宿泊地”コンヤ”へ向かう。コンヤのホテルに着き、食事を終えると前日の寝不足もあり、早々に床についた。
またしても、ビジネスホテルの様な使い方に成ってしまった。
ちなみに、ホテルは、デデマン コンヤ だった。
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